少年日記

少年が成長していく物語

【恋愛歴史学 第2回】本当はエロかった昔の日本

//恋愛歴史学講義

//2017年2月22日 第2回

//本当はエロかった昔の日本

//平安時代のタラレバ娘

 

皆様

お疲れ様です。めこです。

 

金融日記の管理人、藤沢数希さんの新作「損する結婚 儲かる離婚」が発売されました。

僕は「まだ子供」なので結婚は考えていませんが、数くんの新作なら絶対おもしろいでしょう。Kindle版が出たら読もうと思います。

「結婚制度のあり方」は人類の歴史の中でも長らく議論されてきました。

現行の日本の結婚制度は第二次世界大戦でアメリカにボコされた後、マッカーサーに「こんな感じで作っといて!」と言われて作った「憲法24条」に基づいています。

キリスト教風の一夫一妻制ですね。

 

少子高齢化が加速する日本では、離婚にかかるコストが重すぎてあまりイケてないのではと言われています。

結婚ゲームのルールをよく理解して、それを逆手にどう動くべきかという議論は他の人に任せるとして、僕は恋愛歴史学者として、昔の日本の結婚制度はどんなものだったのか、おっとりした大和民族にはどんな結婚制度が肌に合うのか調査することにしました。

調査を進めるうちに昔の日本人は特殊な結婚観を持つ、かなりエロい民族だったということがわかりました。

日本の3大エロ時代といえば「平安」、「江戸」そして「現代」ですが、今回は飛鳥、奈良、平安の頃の「古代の日本」について書きたいと思います。

それでは、よろしくお願いいたします。 

 

 1.本当はエロかった昔の日本

僕たちは同じように生まれたけど身体の作りが違わないか?

私の身体には閉じ合わない部分があるの。

僕の身体には余った部分があるよ。この余った部分で君の閉じない部分を刺してみよう

いいわ!

日本最古の歴史書「古事記」によると日本列島はイザナミとイザナギという2人の神様のセックスによって産まれます。二人は兄妹なので日本で最初のセックスは近親相姦だったようです。

このあとイザナミは次々と島や神様を産んでいきまが、火の神様ヒノカグツチを産んだ時に美蕃登(女性器)を火傷して死んでしまいます

このような「アソコが壊ちゃう神話」は世界中にあります。例えばエジプト神話のオシリス神やギリシャ神話のウラノス神などは男根をちょん切られてしまいます。性愛のパワーを信仰していた古代人にとって、性器の損傷というのは重要なテーマであったに違いありません。

しかしそのような神話において、日本には世界的に見ても稀な特徴があります。それは、「日本の神話には男根を切られるエピソードが存在しない。」ということです。

なぜ、日本には男根を切られるエピソードがないのか。これは古代の日本における女性の社会的地位を分析していけばよくわかります。

 

古代の日本は母系社会と呼ばれる母方の血筋が重視される社会でした。母系社会とは以下の特徴を持ちます。

  • 出自は母方の血筋をたどる
  • 財産は母方から子に相続される
  • 結婚後は夫婦は母方の家に住むか、夫が母方の家に通う

また、「就職」や「結婚」など人生を左右する重要な事柄も母親が決定権を持っていました。

平安時代は男が歌を送って気持ちを伝えたり、覗き見をして、女がオッケーを出せば、3日間女のもとへ通ってセックスした後、結婚が成立しました。この過程の途中で母親は男からの文をチェックしたり、時には勝手に返事をしたりしていたのです。

 

ローマや中国など財産が父から息子に相続される父系社会では、財産が違うタネの子に相続されたら一大事なので、女性に厳しい貞操義務が課せられます。

また、皇帝など権力者たちは妻の性を独占するために去勢された「宦官」を置きました。

俺以外とセックスしたらぶっ殺す。それでも信用できないから周りの男のアソコは切ってしまえ。」ということです。 

 

一方で古代の日本のような母系社会では、女性の性に対する締付けがゆるくなります。「どの父の子であるか」はそれほど重要ではないからです。

子は母方の財産で育つのだから、女が夫以外とセックスして子供を産んでも女の負担になるだけだから、別にいいんじゃない?」ということです。

 

そのような社会では男根を切る必要もなく、発想もありません。日本の神話に男根を切るエピソードが無いのは日本が母系社会だったからと思われます。中国から多くの影響を受けていたにも関わらず、日本に宦官が浸透しなかったのもそのためです。

平安中期の和泉式部は「生まれた子の父親は誰?」と聞かれ、

この世には いかがさだめん おのづから 昔を問はん 人に問へかし 

という歌を詠んでいます。

「この世のことはなんで決められましょう。前世の事を知っている人に聞いてくださいよ。」といったところでしょう。

  

このような傾向に拍車をかけたのは平安中期の「セックス政治」です。

平安時代の貴族は娘を天皇家に入内させ、生まれた皇子の後見役として政権を握ることを狙っていました。「娘の性」を権力闘争に使っていたのです。

ここで勝つためにはとにかく娘が他の女よりも少しでも早く天皇の子供を生む、つまり「天皇とセックスする」必要があります。

だから平安貴族は総力を上げて娘を「男がセックスしたくなる女」に育て上げました。長い髪を伸ばせるだけ伸ばし、脱がせやすそうな着物に、魅惑的な香り焚き付けて、「女であること」を全面にだしつつ、教養を身につけさせ、男を飽きさせない女にしたのです。

藤原道長のような大貴族はそうした「女子力」のある女を集めて「サロン」を作ることで天皇や有力貴族の足を運ばせ、生まれた皇子の外戚として繁栄しました。

皇帝の妻たちに仕える男は宦官に限るという中国の後宮と比べると、その違いは歴然としています。

 

また、古代の日本人は非常に魅力的で趣深い「人妻」という言葉を作り出しました。当時も人妻は「他の男の妻で、禁断の性の対象」というちょっとエロい意味で使われていましたが、これは「美魔女」などと同じように日本で作られた熟語です。中国では人妻をエロい対象として考えていませんでした。

奈良時代に作られた「万葉集」では、人妻は許されない恋の対象として甘くそそるような感じで詠われています。

うちひさす 宮道に逢ひし 人妻故に 玉の緒の 思ひ乱れて 寝る夜しそ多き 

「路で逢った人妻のせいで思い乱れて寝る夜が多いなぁ」

 

 人妻に 言ふは誰がこと さ衣の この紐解けと 言ふは誰がこと

「人妻を口説くのは誰?下着の紐を解けというのは誰?」

 

人妻をエロい対象として見るためには人の妻に手を出すということが「タブー」でありつつも実際に手を出しても厳しく罰せられない「ゆるさ」が認められる必要があります。

現在のフランスのように結婚制度が崩壊してしまっていたら人妻はエロくもなんともありません。一方で人妻とセックスしたら処刑するなんてルールがあったら、恐ろしくて欲情どころではありません。 

 

日本は飛鳥時代に唐から「律令」と呼ばれる法体系を取り入れました。「律」は刑法、「令」は民法です。この律令によって日本で初めて婚姻に係る規定が出来ました。唐では「結婚をしていない男女がセックスすると犯罪」でしたが、日本では「人妻の身でセックスをしたら(軽度の)犯罪」とゆるい規定でした。男が3日通ってセックスした後に婚姻成立、つまり「セックス→結婚」というのが古代の日本の正しい順番だったからです。

逆に言えば人妻とセックスすることはさすがにまずいと考えられていましたが、平安時代以降の「伊勢物語(10世紀初頭)」、「平中物語(10世紀半ば)」、「今昔物語集(11世紀頃)」には人妻との不倫がさも当たり前のように書かれているので、実際に罰せられることは少なく、形だけの法律となってしまったようです。

 

古代の日本には、あまり性を厳しく取り締まらない「ゆるさ」と性愛を良いものとして肯定する精神がありました。その最たるものが「宿世」という言葉です。もともとは仏教用語で「前世からの宿縁」を意味しますが、平安文学では「男女のことは何があっても前世から決まっている逃れられない運命だから仕方ない。」という意味で使われていました。さすがにまずいと思えるような人妻不倫も宿世の一言で許されしまうのです。

 

そのような時代の中で現在でも読まれる名作「源氏物語」は書かれました。物語の中では男が女に歌を送って何ヶ月もやり取りした後で、やっとセックスすると行った過程をふまず、男女関係の多くはあやふや形で始まります。その「曖昧さ」は登場人物たちをを苦しめていきますが、男女のことはすべて「宿世」だからと許されてしまいます。

この「ゆるさ」と「曖昧さ」が古代の日本の結婚制度の良さだったのではと僕は思います。

 

最後に母系的な社会も、一夫多妻制であったという事を強調したいと思います。

仁徳天皇は「古事記」の中で唯一「聖帝」と呼ばれる名君ですが、その妻イハノヘメノはとても嫉妬深かったそうです。他の女が宮殿に近づくだけでブチ切れていました。

それでも仁徳天皇は美人のクロヒメを寵愛したり、イハノヘメノが出かけている間にこっそり異母妹のヤタノワカイラツメとセックスしたりしています。そのたびにイハノヘメノはブチ切れるのですが、それを上手くなだめつつ、他の女へフォローもする様子が古事記には描かれています。これについて小学館の古典文学全集「古事記」の校注は

受け入れ和めて、すべて破綻なく調和させることが、大王たるものの徳なのである

と指摘しています。

 

多少の過ちは許してしまう「ゆるさ」「曖昧さ」、そして男は多くの女性を幸せにする「度量」が現代の日本に必要なものではないでしょうか。

 

2.コラム 「平安時代のタラレバ娘」

平安中期から末期になり、貴族が娘の性を道具に一族繁栄する「セックス政治」が盛んになるにつれ、父親を中心とした「家」への結束が強くなっていき、母系的な繋がりは弱くなっていきました。その結果、親が死んで困窮した「結婚できない女」や、父のいない子を抱える「シングルマザー」、貧しさ故に捨てられた「貧困女子」が急増しました。こうした時代背景から生まれたのが「玉造小町子壮衰書(たまつくりこまちしそうすいしょ)」という物語です。ヒロインは、美貌をたのんで結婚しなかった結果、親と死別した後は、召使いにも逃げられ、急速に落ちぶれて醜い老婆になってしまいます。平安末期になると、このような「美人で沢山男が言い寄ってくるんだから結婚しようと思えばいつで出来たのに、選り好みするからこういうことになるんだ。」という「男に反抗的な女」への見せしめ的な作品が続々と作られていきます。現代の日本とよく似た状況ではないでしょうか。

そして次第に武士が台頭してくると、日本は男中心の父系社会へと変貌していきますが、その話はまた今度。

 

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今回も長くなってしまいました。

恋愛歴史学第2回講義は以上です。いかがでしたでしょうか。

 

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以上、よろしくお願いいたします。